身土不二

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金がない幸せ

今の世の中、金があると欲しい物(者ではない!)は何でも手に入る。

 衣食住の日常の暮らしの品々も、華麗さも、便利さも、美味も、美容も、健康も、教育(教育の外注ブーム)も、文化教養も、芸術品も、享楽も、・・・etc、こうやって書き並べていても、書き尽くせないほど次から次へと浮かんでくる。物の豊かな社会とは、こういったものなのだろう。すべてが商品である。

物欲は、心がそれに埋もれてしまうほど際限がなく人を誘いつづける。

 物欲刺激の宣伝は、TVコマーシャル、車内広告、各種新聞・雑誌の広告、折込チラシ、通販パンフ、インターネット、携帯電話、看板など、溢れ返っている。それも、心を動かす「科学」まで動員されて物欲をどうにかして刻みつけようとあの手この手で金を使わせようと狙ってしのぎを削っているのだ。

怪しげな宗教団体やあの手この手の詐欺師まがいの商法も横行している。

 しかし、金が無ければ物欲を満たしようもなく、ちょっとした気構え次第で物欲地獄と無関係でいられるのだ。かえって心は自由でいられるのだ。

では、その気構えとはなにか?キーワードは、リストラなのだ。

 バブルの時期、農山村でも都会生活をそのまま移動したような空間を売りにしたサービスが流行ったが、廃れるのも早かった。最近、片田舎の民宿でうちには電話はありませんとかTVは置いていませんというところがある。どういう時間を過ごして欲しいのか、宿の主(あるじ)の静かなメッセージが心に伝わってくる。物があるのがサービスでなくて、無いことがサービスなのだ。物もこれだけ溢れ返ってくると人の暮らしに本当に必要かどうかが1つ1つ問われることになる。

 一人一人の暮らしもリストラ(再構築)される時代の入り口にさしかかったらしい。ただ、このリストラは明るさがある、それは人間らしさを取り戻すためのものからだ。人員整理と同義語のように、今や大流行りとなった企業リストラの暗さとは、大違いだ。弱肉強食の臭気が漂うリストラには明日は無いが、人の暮らしのリストラには人間の尊厳をとりもどす明るい未来が拓けていくのだ。

 暮らしのリストラがすすめば、コマーシャルに踊らされていたような無用の支出を削ることで家計も収入減に対応できる。使わなくてすむものを便利そうというだけで使ってきた時代とオサラバするのだ。食べ物でいえば、「袋の味」より「お袋の味」の価値が見直されるのだ。「ファストフード」に対する「スローフード」もその一つだ。

21世紀の日本は、「金かける」より「手間かける」時代が始まったのだ。

 一人一人が成長神話の信奉から目を醒まし、家族で地域で学校で、人間らしい暮らしの復活が求められ、リストラ(再構築)されなければならない。これは、科学技術の進歩を全否定していっているわけではない、その使い方も人次第であり、何事も過ぎたるは及ばざるが如しの故事は、生きた真理なのだ。

 人間らしい暮らしのその魁(さきがけ)となれるのは、金がない幸せを満喫できる人々である。それは、自らの物欲を直視し、いやがうえにも暮らしに必要なものと不必要なものを判別しリストラする必要に直面しているからである。

 私を含め、特に都会暮らしの人は、永らく自然との共生をその暮らしのリズムとする人間らしさから、どんどん遠ざかった生活にどっぷり漬かってきたので、なおさら物欲の洗い直しに忙しいわけである。

2001年11月25日(日)

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