新潟県新津の井浦さんの紹介 こだわりの米文化を情報発信 身土不二.com

プロフィール

写真:井浦ご夫妻と収穫直前の田圃にて  新潟県新津のの井浦さんのお米は、人柄がお米の味に表れるという典型のようなお米です。気品が漂う風味とほのかな甘みのあるお米です。どこか物静かで、落ち着きがあり、一本筋がしっかり通っている井浦さんの人柄を偲ばせる味わいがあります。

 数年前に店の前を魚沼の生産者が通りかかったことがあります。立ち止まって色々な生産者の紹介文を読んでいましたが、井浦さんのお米(合鴨農法)があるのに気がつくと話し掛けてきました。そして、「大変尊敬している方だ・・・、私なんか足元にも及びません。」と熱く語って帰っていきました。やはり、知る人ぞ知るという人物なのです。

写真:栽培方法研修の懇親会の席上で初対面  井浦さんの歩みは、戦後の日本農業の歩みの常に先駆けを成してきたといっていいと思います。食糧の増産期には、規模拡大のモデル農家として注目され、小学校5年生の社会科教科書にも登場したような方です。

 1950年に就農したときの水田2ha弱でスタートし、一年のうちの半分は大工仕事の兼業農家として力を蓄えつつ、先進的に田植え機を導入して、1972年ころから規模拡大に着手して1983年には18ha(借地4ha)へと経営面積を10倍近くまで伸ばした実績があるのです。

写真:「井浦亮一の米作り道場」の本  その後、井浦さんは、先進的に機械化を導入して、奥様と息子さん夫婦と一緒に25haの7市町村にまたがる水田経営まで拡大しています。

 私も教員時代に1984年に出版された「明日の農業を求めて」ー自立をめざす青年達ー横田哲司著という本を授業の教材準備の中で、読んでいましたが、その第一章に井浦さんが登場していたのです。

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井浦さんの米作り

写真:井浦ご夫妻と妻(政美)  井浦さんは、1985年に、新潟の消費者運動グループとの出会いによって、新鮮な感銘をうけたのです。「農村に定住し、自然と共生しながら生命の源をつくる農を営む暮らし」に共鳴し励ましてくれる人々からのエールです。

 井浦さんは、都市生活者と共に農業を語り合い、その輪の拡がりを展望できる『楽しく、明るく、面白い農業』をめざしました。有機農業の熱心な実践者となって新しい活躍の道を歩み始めたのです。

写真:名前入りのなたね油  井浦さんは、1987年から政府の農政審議会委員、1988年から新潟県稲作経営者会議会長と重責のあるポストも兼職され、人と人の出会いを大切にしながら精力的な活躍をなさいました。1990年10月に突然倒れ、療養・リハビリ生活を送ったのですが、1992年には見事に田圃に現役復帰を果たしています。

 井浦さんは、自宅に隣接する田圃で「合鴨農法」や「不耕起レンゲ農法」などさまざまな農薬無使用のおもしろくて楽しい農法にチャレンジしてきました。土作りは、これまたこだわりの「江花微生物農法」です。私の知る限り、この農法のお米のヌカは黄な粉のように甘いのです。

写真:遺伝子組み替え反対キャンペーン  2000年12月には、NPO法人『赤とんぼ』という民間の有機認証団体を消費者と共に設立し、その理事長に就任しました。『赤とんぼ』で有機農業に取り組む仲間と、それを支えてくれる消費者の輪を広げていきたいという想いからです。

 有機農業について一番よく分かっているのは有機農業を実践してきた農家ですから、実践者による法人ということで、『赤とんぼ』は関係者の期待と注目を集めています。

写真:プレゼントサイズの特製のなたね油  こうしてみると井浦さん自身の稲作経営にかかわる歩みが戦後日本の稲作の歴史の先駆を常になしてきているといえます。まさに、日本のお米を代表するお米といってもいいと思います。井浦さんのことは、「井浦亮一の米作り道場」山形大学楠本雅弘著、日刊工業新聞社1995年)に詳しく記されているので、興味のある方にはお奨めです。)

 2000年から、井浦さん達は、減反田を利用して「国産菜種油」をプレゼント用に作り始めました。とても商品にする量は作れないからといって、井浦ファンのお客様に届けて欲しいといって送られてきました。瓶には「遺伝子組み替えノー」のシールが貼ってあります。今年も作るそうです。

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