身土不二

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ペットボトル茶と急須茶(その2) 常滑焼と日本茶の味わい

「練り込み」

 常滑焼急須での私の感じた魅力は、あと二つあります。一つは、「練り込み」というものです。これは、朱泥のほか、緑泥(マンガン?)、白泥、黄泥、紫泥など生地になる粘土をミックスして、ロクロをひいて創るのです。そうすると土の色が幾重にも彩りの線となって表面に表れるのですが、これが実に美しいのです。今から35年も前の高校生の頃の私でも好きな作家の作品は識別できましたから、ロクロを回すスピードや土の混ぜ具合などで人の個性が表れるのでしょう。そして、さらに嬉しいことには、形・大きさはほとんど変わらない大きさで出来ても、その表面に現れた模様と色彩はそれぞれの品ごとにまさに世界に一つの個性を主張しているのです。筆による表現とは異なった不思議な味わいがあります。

「彫り師」

 もう一つは、彫り師の技です。これは感動というより、驚嘆という表現の方がふさわしいかもしれません。あの小さな急須(大き目の土瓶ではありません)の表面になんと百人一首の歌と絵を彫りこんだものとか、百の表情をした達磨(だるま)さんを描いた彫りなどは、その発想の大胆さとその技の繊細さに目を奪われました。白泥の生地に描かれた今にも動き出しそうな蟹(かに)の彫りも鮮明に印象に残っています。また、シリーズで東海道五十三次を一個一個に描き彫った作品もありました。子どもだった私が伝統の技というものの凄みを一番身近で最初に見せつけられたのがこれらの作品でした。

 この他にも普段づかいの芸術品(床の間や飾り棚でなく)としての急須は、その重さや自分の手にあった取っ手から伝わってくる温もり、そして陶茶漉しのふくらみと注意深く開けられた小さな穴たちなど奥の深い味わいは尽きません。

 私が高校生の頃にも中国から一度、中国急須が入荷したことがありました。大ぶりの急須で、外観の造形には芸術性のある独特の雰囲気がありましたが、一番の違いは、茶漉しの部分でした。日本の急須のようなふくらみはなく、6〜8個くらいの大き目の穴が無造作にあるだけのものでした。お茶そのものの違いからくるものなのでしょう。日本茶には向かないなと一見して思ったものです。

 その頃からだったでしょうか?常滑焼の急須の中にも、使い込んで艶を出すのでなく、元からテカテカしている地肌の急須が出回りはじめました。なんじゃコリャと思ったのを憶えていますが、いわゆる「〜もどき」ですが、安い急須として人気が出たようです。

 その後、事情があって父とは分かれて生活するようになったので、お茶と急須の世界の微妙な変化については、疎(うと)くなってしまったのですが、物心ついてから大学に入るまで、取引先である都内のお茶専門店から父が買ってきたお茶を日常的に飲んで育ったので、なんとなくお茶の味や色については、判るのです。煎茶や玉露については湯冷ましをして、味わい飲むことも知っています。

 ところがあるとき、ふと気になり始めたのですが(私の若気の至りで嗜好品というとコーヒーやアルコール類という時期が続いていたので)、気付いてみると「深蒸し茶」が氾濫していました。またまた、なんじゃコリャでした。

 次回に続きを書きます。

2001年03月11日(日)

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