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学校週5日制と「総合の学習」の意義

 この四月から「総合の学習」と「週5日制」がスタートします。しかし、従来の学習内容の3割削減が知らされて「ゆとり教育とは何なのか?」という社会的関心があらためて生じているようです。期待を込めてスタートが見守られているというより、学校でも家庭でも、戸惑いを持って受け止められ、不安がられている様子が報じられています。特に、今回の改革の目玉ともいうべき「総合の学習」は、とらえ方がいろいろあって、移行期間中の各地の実践は質的にバラバラで暗中模索のまま、本格実施の年を迎えてしまったような印象です。

 なぜ、戦後教育の中でも、ひときわ大きな制度的変更であるにもかかわらず、いまだに解りにくい漠然とした部分が残ってしまっているのか?

 それは、今回の変更が、「画一教育からの脱却」が課題とされていることにその理由があるようです。つまり、従来は学習指導要領によって、かなり教育内容が拘束されていたのに、「今回からは、学習指導要領は最低基準で、マニュアルはないよ。好きにやっていいよ。」ということになっているからなのだそうです。

 つまり、従来の「画一的」学校教育の中では、育ちにくかった力を子供たちに培おうというねらいなのですね。総称として「生きる力」「生き抜く力」と呼ばれているのがそれです。ですから、おとなたちが自分の経験した学校生活の記憶からイメージしようとしても、イメージしにくいし、できないのです。

 たとえば、学校が地域からのゲストティーチャーの力を借りるのも自由にやっていいよということの一つだそうです。そして、そのために学習内容を大幅に削減してでも「総合の学習」の時間をつくったということなのでしょう。週5日制も子供たちにあらたな力を養うために、生み出された「ゆとりの時間」を大いに活用してくださいということにつながってくるのです。

 そうなると親もただ不安がっているわけにはいきません。「どんな力を子供たちに培い・育むことが21世紀を生きていく子どもの幸せにつながるのか?」それを考えないわけにはいきません。親も我が子の教育を学校任せ、塾任せ、お稽古任せつまり人任せにしておけなくなった時代に入ったといえるのです。お金にものをいわせての「安易な教育の外注」は、もはや許されなくなった時代になったのです。

 もし、教師や親の側が従来の受験学力信仰の呪縛から抜け出せずに、安易な選択をして、土曜日の活用や総合学習の時間を3割削減された学習内容の穴埋めだけにつかうような発想しか浮かばないならば、あまりにも寂しすぎますし、子ども達が可哀想です。それは、もはや大人の側の問題です。

 今回の制度変更は、入試制度の改善が進んでいない現状では、理想論にすぎるという批判もあるようです。しかし、すでにスタートし始まっているのです。この新制度は、確かに両刃の剣のようなところがあります。しかし、新制度を生かすも殺すも子どもの近くにいる大人たちの知恵と生き方次第なのではないでしょうか。 日本中の大人たちが、真剣にこの教育制度に魂を入れるべく、地域で・家庭で・学校で、大人の側が心のゆとりを持って、じっくりと一人一人の子どもを見つめてみましょう。そして、その子の個性に応じた能力の成長を喜び、励まし、共に学んでいく時空をどんどん広げていけば、逞しく21世紀を生き抜いていくための大きな大きな始めの一歩が踏み出せるのではないでしょうか。

 従来のペーパーテストで測定できる能力とは別の、我が子にとって必要な鍛えるべき望ましい能力とは何なのかを親として自問し意識しなくてはならないからです。21世紀を生きていくのに必要な力とは何なのか、子どもたちに身につけさせるべき「生きる力」とはいったい何なのか?親も教師も、皆、この問いに直面しているのです。

 なぜ、私ごときが偉そうにこんな問題を論じているかといえば、実は二十数年も前に私はこの問題に直面し実践した経験があるからなのです。

 当時、勤務していた学園で、私学として「週5日制」を採用するかどうかの激論をかわしたことがあるのです。私は、時期尚早と考えて「週6日制」維持を主張しました。理由は現在、子どもの土曜の過ごし方に不安を持っている親や教師とまったく同じでした。でも、申請の期限がやってきて、議論半ばにして多数決の採決が行われて「週5日制」実施が決定したのです。

 決まってしまうと他の私学はおろか公立と比べても不足する授業時間数に悩まされることになったのです。不足する授業時間数でいかに力をつけるのかという課題に直面しました。

 わが社会科が試行錯誤の実践の結果、たどり着いたのは、学習へのモチベーション(動機付け)の工夫と自分流学習方法(ノート作成など)の徹底した指導をしてみようということでした。学びの面白さの体験による知的好奇心の発芽をうながすことは、現状では避けてとおることの出来ない受験勉強においても、確実に真価を発揮すると考えたからです。

 一方、足で書かせるレポート学習を位置付けて、ペーパーテストでは測定できないために従来は評価の対象とされてこなかった一人一人の多様な能力や意欲の発掘に力を入れてみました。「君、すごいなあ!」って、おとな達が子どもをどんどん誉めてヤル気を呼び覚まして、子どもも自分を誉めたくなるような体験を一杯してもらおうと考えたからです。つまり「自信」をつけることを重視したのです。 そのため、その評価には大胆に「加点法」を加味してみました。満点を超える子も出てくるという評価法だったのです。

 今振り返ってみると、このレポート学習は、まさに「総合の学習」そのものだったのではないかと思います。ですから、私は机上の空論としてではなく、「週5日制」と「総合の学習」をチャレンジした教育実践の結果としてどうだったのかを今では30代から20代半ばの若者に成長している彼らの姿や声を参考にしつつ検証・発言・議論することができるわけなのです。

 次回には、「レポート学習」のもう少し具体的な説明とOBやOGの成長の様子や声に触れてみたいと思います。親や社会人先生の果たした役割も。

2002年04月06日(土)

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